2005年09月03日

駒大苫小牧と明徳義塾

新聞に駒大苫小牧と明徳義塾両校への高野連の判断について、温度差があるとの指摘がありました。私もそれはそう思います。ただ、(屁)理屈上では暴力をふるった者が生徒か指導者かの差を処分の差としています。私は本音では駒大苫小牧は優勝取り消し処分にして、明徳との差は秋季大会の出場権を認めることにすれば良かったのではないかと考えています。

なぜそんなに深刻に考えるかと言うと、指導という名の暴力を認めないという確固たる信念を示す必要があると思うからです。高野連が今回そういう措置を取れば、恐らく高校野球においては指導法について、大幅な変更(改善)を余儀なくされたでしょう。しかし、そのチャンスを逃してしまいました。駒大苫小牧を個人的には応援していたので気分的には乗り気ではありませんが、暴力はいかんというメッセージはそれほど強烈で何にも優先される事項であることを示すべきでした。

その後のイメージとしては100人規模の部員を抱えることは強豪校にとってもリスクになるので、部員数を制限して個人個人に目が行き届くような体制が求められるでしょう。枠外の部員の不祥事で頑張った部員も甲子園や増してや全国優勝まで取り消されるとなれば、部の管理を良い意味で徹底させることが必要になります。

個人を大切にしかし目標に向けて切磋琢磨していくことに価値があると思うのです。

posted by 金時 at 19:44| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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