2005年08月06日

数学者の思考

自然科学の分野で、顕著な研究業績を収めた女性科学者に贈られる猿橋賞を平成17年に受賞した東北大学理学研究科の小谷元子女史の記事をだいぶ前に読みました。「離散幾何解析学による結晶格子の研究」数学者です。

研究の内容はよくわかりませんし、どんな説明だったかも忘れましたが、散歩中によく電柱にぶつかって「ふつうぶつかりますよね」と書いてあったことに対しては「ふつうはぶつかりません」と心の中でつぶやきました。たしかにぼーっとしていたり、何かに夢中になっていれば、ぶつかることもあるかもしれませんが、あまりふつうのできごとではないでしょう。

小谷さんは散歩が趣味だそうで、その間にも恐らく数学的な思考を凝らしているのだと思います。私からするとこういった状態はとてもうらやましいです。
私はその境地まで達したことはないのですが、数学のような論理言語で思考することは通常言語とは感覚が違うのだろうことは想像できます。経済学をかじったときにはある一定の条件の下、数式化していくと何となく騙されたように結果が出てくるのですが、はやりそれを通常言語で考えるとこんがらがってきます。その点、数式は単純なものでもクリアです。数学だけでなく論理学でもだまされた気になりましたし、哲学思想にいたってはその一瞬非常に深い境地に入った気がしました。実はそんなこんなで、表層思考を超えた部分に浸っていたい欲望が実はかなりあります。というか、最終的な理想型かもしれません。しかし、現実の世界はとても具体的な活動の積み重ねですので、というか私が現実の営みが実は好きだということなのかもしれませんが、その辺をスイッチできないでいて漠然とした欲求を持ち続けています。そちらの道に入りなおそうかとまじめに考えたことも度々で、まだあきらめていませんが、もっと成果を出してからやっても遅くないと納得しています。最終的にこのような「思考のトランス化」状態と勝手に名づけています。これは薬物使用などによる安易なものではありません。あくまで思考を続ける結果によるもので、そういったことをたまに考えています。

あと、何かで読んだのか、何かを参考に私が考えたのかは忘れましたが、「自然は均衡や安定を求めている」ということが手帳にメモしてありました。それは「美」であって、究極の状態は「美」であるのだと考えています。そして「美」とはバランスと多様性を生み出すものでもあります。現実の世界もそこを希求していると信じています。人間も自然の一部として歩調を合わせたほうが無難な気がしますが、人の思考はちょっと違いますからね。それでも十分整合性をとれるのではないでしょうか。自分の中で最終的に求めている一面はここにあります。その辺の漠然とした思いもしっかりと勉強するとはっきりとするのではないかという期待もあるのですが。
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posted by 金時 at 19:39| 科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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